地下鉄始発駅に住む

幻影

梅雨明け宣言した先週末から一気に暑くなり、35℃越えの灼熱地獄が始まった。通勤電車のエアコンもマックスで運転しているが、太陽に焙られたサラリーマンが発する熱は冷める気配など微塵も感じられない。
そんな東京で燃え尽きた埼玉県人を自宅に送り届けるべく、夜をひた走る京浜東北線
程々の混雑の中、同年代と思われるサラリーマン2人がぼそぼそと会話をしている。
「土曜からさあ、一気に暑くなったでしょ。」
と、自分と同じような小太リーマンが言う。
「ええ、そうですね。ついにきたなって感じですね。」
浅黒く焼けた方はちょっと嬉しそうだ。
すると小太りーマンが、
「こんなに暑くなるとさあ、カミさんがカレーを作るんだよ。」
「暑いとカレーですか?珍しいですね」
「だろ?普通はそう思うよなあ。でもうちはそうなんだよ。」
続けて言う。
「そしてさあ、カミさんのカレーの肉は豚肉、それと尋常じゃない量のジャガイモが入るんだよ。」
「尋常じゃない位ですか?」
「うん。カレーってさあ、ルーに具が程よく入ってる、シチューみたいってのがよくあるやつじゃん。でもさあ、うちのはさあ、肉じゃがのカレー味と言って良いくらい大量の具が入ってるんだよお。」
ホワンとした物言いに、車内がなんとなく聞き耳を立てている。
「奥さんのこだわりなんですかね?」
「カミさん曰く、『北海道では普通だ』って言うんだよなあ。」
たしかに北海道は肉は豚肉、多めのジャガイモって家は多いだろうけど、「肉じゃが並み」は違うだろ。それはそれで旨そうだけどさ。
そこに浅黒が言う。
「じゃ、ルーも奥さんこだわりのヤツがあるんですか?」
「いや、そこは特売の『こくまろ』だ。」
特売かよっ。車中で会話が聞こえてる奴らの心の声が聞こえた気がする。更に『うちもそうだ』とも。
「じゃ、そんなにジャガイモが入ってて、こくまろのルーなら仕上がりは優しい感じのカレーなんですね。」浅黒が言う。
優しい物言いだが、モッタリとしたヤツなんだろって言ってるのと同じだよ。おう、小太りーマンのカミさんをばかにしてんのかっ。北海道なめてんのかっ。じゃがいもの出荷止めるぞっ。
「ところがさあ、」小太リーマンが言う。
「適当なとろみはこくまろなんだけど、ガラムマサラって言う辛いスパイスを入れるんだよ。しかも尋常じゃないくらいにさあ。」
おおっ、切り替えしてきたね。それにしてもおまえのカミさんは、とにかく何かを尋常じゃないだけ入れたいんだな。
「そうするとさあ、辛さのキレがすごいのよ。キレッキレだね。それを食べるとさあ、これまた尋常じゃない量の汗が噴出すんだよ。もう家族全員首にタオル巻いてカレーを食べるの。不思議な光景だよなあ。」
更に言う。
「上のボンズなんてそれに慣れちゃったから、外でカレー食わないの。『辛くないのカレーじゃない』って言うんだぜ。中1でそれだよ。この先どうなるんだろなあ。」


アナウンスがながれ電車は赤羽に着いた。ここでそのサラリーマンは降りていった。
電車を降りる時の最後の言葉は
「よしカレーだ。」だった。


彼が降りた電車の中は、カレーの雰囲気が充満していた。